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最高裁判所第三小法廷 平成6年(行ツ)200号 判決

上告人

白澤幸子

右訴訟代理人弁護士

沼田敏明

虻川高範

上柳敏郎

玉木一成

岡村親宜

被上告人

大館労働基準監督署長

貝田勲

右指定代理人

森脇勝

外一一名

主文

原判決を破棄する。

被上告人の控訴を棄却する。

控訴費用及び上告費用は被上告人の負担とする。

理由

上告代理人沼田敏明、同虻川高範、同上柳敏郎、同玉木一成の上告理由について

一  白澤勝二(当時三九歳)は、電気工として配電作業に従事していた労働者であるが、昭和五三年一二月三〇日午前二時三五分、非外傷性の脳血管疾患(脳内出血又はくも膜下出血)によってもたらされた気道閉塞により死亡した。本件は、勝二の死亡が、労働者災害補償保険法にいう業務上の死亡に当たるか否かが争われた事件であり、その死亡原因に関して原審が適法に確定した事実関係の概要は、次のとおりである。

1  勝二は、長兄が三五歳で脳溢血を起こし、母親も若年時ではないが脳溢血を起こすなど、その家庭歴に照らすと脳血管疾患にかかりやすい素因又は高血圧症等の基礎疾患を有していた可能性が低くはない。しかし、勝二の勤務先では定期健康診断を実施しておらず、また、同人が個人的に健康診断を受けたこともなかったので、同人が右基礎疾患等を有していたことを明らかにする資料はない上、少なくとも死亡前約三年間は同人が医療機関で受診した形跡はうかがわれず、妻である上告人を含む周囲の者からはその健康状態に格別異常はないとみられていた。

2  勝二が死亡の原因となった脳血管疾患を発症する二日前である同月二七日午後一時三〇分ころ、勝二の同僚が建柱車に積載していた木製古電柱二、三本をクレーンでつり上げ、地上に降ろす作業をしていた際に、巻き過ぎによりワイヤーが切断され、その全部又は一部、金車及びこれと一体をなすフック(金車及びフックの合計重量は約30.8キログラム)がつり荷である電柱と共に、地上約三メートルの高さから落下し、右落下地点付近で仕事をしていた勝二は、後ずさるような逃避行動をとったが、着用していた保安帽が脱げ落ち、鼻の左下端と口唇部左側上下二箇所に比較的小さな擦過傷又は軽度の圧挫傷を負った(以下、右事故を「本件事故」という。)。

3  勝二は、本件事故後、頭痛、食欲不振等の自覚症状があり、上告人にもこれを訴えてはいたものの、その翌日及び翌々日も通常どおりに勤務を続け、木製電柱のコンクリート電柱への建替え等の作業に従事していたところ、同月二九日午後四時二〇分ころ、秋田県鹿角市内において、地上約一〇メートルの電柱上で電気供給工事に従事中に、左手、左足をだらりとさせるなど、脳血管疾患の症状を示して具合が悪くなり、同六時五分ころ、救急車で鹿角中央病院に搬入された。なお、同日の気象条件は、最低気温が零下4.1度、最高気温が零下0.2度であった。

4  勝二は、鹿角中央病院入院時、左側片麻痺、歩行不能、発語・応答不能、意識不明瞭であったが、痛覚刺激に対する反応はあり、最高血圧二四〇、最低血圧一二〇であった。入院後、勝二の意識状態等に一時改善がみられたが、翌三〇日午前〇時四五分ころ容態が急変し、前記のとおり死亡するに至った。

二  右事実関係の下において、原審は、本件事故による負傷及び同人が従事していた業務の一方又は双方が相対的に有力な因子となって勝二の死亡原因となった非外傷性の脳血管疾患が発症したとは認め難いから、勝二の死亡は、業務上の死亡に当たらないと判断した。

三  しかし、原審の右判断は是認することができない。その理由は、以下のとおりである。

前記事実関係によれば、勝二は、非外傷性の脳血管疾患を発症しているのであるから、その発症の基礎となり得る素因又は疾患を有していたことは否定し難いが、その程度や進行状況を明らかにする客観的資料がないだけでなく、同人は、死亡当時三九歳と比較的若年であり、死亡前約三年間は医療機関で受診した形跡はなく、周囲の者からは健康状態に格別異常はないとみられていたというのであるから、同人の家族歴を考慮しても、右基礎疾患等が確たる発症因子がなくてもその自然の経過により血管が破綻する寸前にまで進行していたとみることは困難である。そして、勝二が脳血管疾患の症状を示す二日前に遭遇した本件事故は、金車及びこれと一体をなすフック等がつり荷である電柱と共に地上約三メートルの高さから同人の近くに落下し、その結果、同人が軽度とはいえ顔面を負傷したというものであり、右の事故態様に照らし、相当に強い恐怖、驚がくをもたらす突発的で異常な事態というべきであって、これによる精神的負荷及び本件事故後に生じた頭痛や食欲不振といった身体的不調は、同人の基礎疾患等をその自然の経過を超えて急激に悪化させる要因となり得るものというべきである。しかも、勝二は、本件事故後も、右のような精神的、肉体的ストレスを受けながら、厳冬期に、地上約一〇メートルの電柱上での電気供給工事等の相当の緊張と体力を要する作業に従事していたというのである。以上によれば、勝二の死亡原因となった非外傷性の脳血管疾患は、他に確たる発症因子のあったことがうかがわれない以上、同人の有していた基礎疾患等が業務上遭遇した本件事故及びその後の業務の遂行によってその自然の経過を超えて急激に悪化したことによって発症したものとみるのが相当であり、その間に相当因果関係の存在を肯定することができる。勝二の死亡は、労働者災害補償保険法にいう業務上の死亡に当たるというべきである。

四  以上によれば、勝二の死亡は業務上の死亡に当たらないとした原審の判断には法令の解釈適用を誤った違法があり、右違法は原判決の結論に影響を及ぼすことが明らかであるから、この点をいう論旨は理由があり、原判決は破棄を免れない。そして、前記説示によれば、上告人の請求を認容した第一審判決は正当として是認すべきものであるから、被上告人の控訴を棄却すべきである。

よって、原判決を破棄し、被上告人の控訴を棄却することとし、行政事件訴訟法七条、民訴法四〇八条、三九六条、三八四条、九六条、八九条に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官大野正男 裁判官園部逸夫 裁判官千種秀夫 裁判官尾崎行信)

上告代理人沼田敏明、同虻川高範、同上柳敏郎、同玉木一成の上告理由

上告理由第一点

原判決は、被災者白沢勝二(以下「勝二」という)の疾病が業務に起因するものと認めるためには、業務と勝二の疾病の間に相当因果関係があることを必要とすることを前提に、業務が相対的に有力な原因であったことを必要としている点について、判決に影響を及ぼすことが明らかな法令違背及び判例違反がある。

第一 業務起因性を認めるためには相当因果関係を必要とすることの誤り

一 原判決の判示

1 原判決は、医学的知見を基礎として合理的に推認される勝二の疾病が本件負傷に起因するか、または、勝二の業務ないし右業務及び本件負傷の双方に起因するものならば、右疾病は、災害性疾病又は包括疾病に該当するものというべきであるが、右各起因性を肯定するには、本件負傷又はこれと業務が右疾病発症の唯一の原因である必要はなく、他に共働原因となったと推認される素因、基礎疾患等があったとしても、本件負傷又はこれと業務が相対的に有力な原因であると認められれば足りるものと解するのが相当である」(原判決八丁から九丁)、又は、「業務起因性を肯定する場合、それが医学的知見を無視するようなものであってはならないことは当然であるが、常に医学的確証の裏付けを必要とするとまでは解する必要はなく、本件のような場合、業務上のものと認められる因子が医学的にも相対的に有力な発症因子である蓋然性が高いことが是認されれば足りるものと解するのが相当である。」と判示し(同五五丁)、「本件において、かような見地から検討しても、なお、本件負傷によるストレスが本件発症の相対的有力因子であると認めることは困難である。」と判示している(同五五丁)。

2 右判示は、業務が負傷又は疾病に起因して発生したというためには、業務と負傷又は疾病の間に相当因果関係があることを必要とすることを前提に、業務が相対的に有力な原因であったことを必要としている。

しかし、右判示が前提とする、業務と負傷又は疾病の間に相当因果関係があることを必要であると解釈することは、労働者災害補償保険法七条一項一号、同法一二条の八第一項四号、五号、同条の八第二項、労働基準法七九条、同法八〇条、同法七五条、同法施行規則三五条、別表第一の二の解釈適用を誤っており、判決に影響を及ぼす明らかな法令違背である。

二 業務起因性の意義

1 業務起因性の有無の範囲については、現行労働者災害補償制度の趣旨、目的に沿って判断されなければならない。現行労働者災害補償制度は、憲法第二五条(生存権、国の生存権補償義務)及び憲法第二七条(勤労の権利・義務、勤務条件の基準)を具体化するために設けられたものである。その基本となるものが、労働基準法七五条乃至八八条であり、労働者災害補償保険法である。この二法を一般法あるいは「基本法」として、人的対象別に労災補償に関する特別法が制定されている。

2 労働者災害補償制度は、業務上で負傷もしくは死亡した労働者、あるいはその遺族が人たるに値する生活を営むために必要な満たすべき労働条件の最低基準を定立して保護を与えることを目的とする制度である。

「業務上の死亡」の解釈に当たっては、災害補償制度の右の趣旨が見失われてはならない。

3 右労働者災害補償制度の趣旨からして、労働基準法七九条、八〇条にいう「業務上により死亡した場合」とは、業務と労働者の死亡との間に合理的関連性があることをいい、仮に当該業務に従事したために基礎疾病を悪化させ死亡に至ったことが推定されれば足りると解すべきである。

三 業務上外の一般的判断基準

1 労働者災害補償保険法の適用を管掌し、同法に定められた補償給付の支給・不支給を決定する各労働基準監督署を監督する労働省は、労災補償が「民事法上の不法行為における無過失賠償理論に基づく損害賠償だ」と捉えることから、必然的に労災補償の対象となる業務上の災害についても民事法上の不法行為理論と同様に考えている。すなわち、民事法上、不法行為と発生した損害との間に「相当因果関係」が必要であるとされていると同様、業務と負傷・死亡又は疾病との間に「相当因果関係」が必要だとの見解を導き出し、さらにこれを「業務遂行性」と「業務起因性」の二要件に分類し、民事法上の不法行為による因果関係以上に厳格なる因果関係を要求している。

2 ところで、どのような法的要件が満たされている場合にその法律の定める法的保護を受けるかは、その法制度の目的に照らして決定されるべきことは言うまでもない。

そもそも損害賠償制度において、相当因果関係説が採用されている根拠は、「損害賠償は一方の被った損害を他方に填補させ、もって当事者間の公平を図ろうとする制度であるから、通常の場合に生ずべき損害を填補させることが最もよくその制度の目的に適する」(我妻栄「新訂債権総論」一一九頁)からである。

これに対し、労災補償制度の目的は、発生した損害の公平な分担を行うことでなく、いずれの学説に立とうとも「労働者が人たるに値する生活を営むため必要を充たすべき」労働条件の最低基準を定立して保護を与えることを目的とするのであるから、対等な市民相互間の損害賠償制度の要件である「相当因果関係」という法的要件が必要とされる合理的根拠はないのである。

すなわち、損害賠償制度は立場の交換可能性を前提にするがゆえに加害者保護をも考慮する必要性があり、救済対象を通常の場合に生ずべき損害、すなわち、不法行為あるいは債務不履行と相当因果関係ある損害に限定する客観的合理性を肯定することが可能なのである。

しかるに、労災補償制度は、損害賠償制度と法律制度の目的を異にし、立場の交換可能性は全くなく、加害者を保護する必要性は全く無いのであるから、損害賠償制度の救済対象の範囲よりもその救済対象を拡大する必要性がある(岡村親宜「急性心臓死と『業務上』外認定の法理」労働法律旬報九六三号四四頁以下)。

労災補償制度に相当因果関係を持ち込み、これをさらに厳格に解する原判決の態度は、労災補償制度の本来の趣旨、目的を見誤った理論といわざるを得ない。

四 法文、制度の沿革から相当因果関係説の誤り

1 労災補償制度において、補償の対象を定める根拠条文はいずれも「業務上」の負傷・死亡あるいは疾病と規定しているに過ぎない。

ところが、損害賠償制度においては、「債務の不履行に因りて通常生ずべき損害」(民法四一六条)あるいは「故意又は過失に因りて生じた損害」(民法七〇九条)と規定し、法文上も債務不履行あるいは不法行為と相当因果関係ある損害のみを救済する旨の規定となっている。

労災補償制度の救済の範囲を業務と相当因果関係にある負傷・死亡又は疾病に限定する趣旨であれば、立法上労災補償制度においても単に「業務上」とだけ規定せず、「業務に因りて」負傷・死亡し、あるいは、疾病にかかった場合と規定するのが当然である。ところがそのように規定されていないことは、その救済対象の範囲を損害賠償制度よりも拡大する趣旨と解する他ない。

2 さらに、労災補償制度の沿革からも相当因果関係を要求するのは誤りである。

すなわち、労働省が労災補償制度の救済対象を、業務と相当因果関係のある負傷、死亡又は疾病という相当因果関係説を採用したのは、労働基準局労災補償課編著「改正労災保険法の詳解」(昭和三〇年・一〇頁以下)以後であり、右相当因果関係説を採用するにあたっては、全くその法的根拠は示されていない。

工場法(明治四四年三月二八日制定・大正五年八月施行)においても、単なる因果関係説が採用されていた(河越重任「労災における業務上外認定論の再検討」労働法律旬報八三九号)。

戦後、立法に参画した厚生省の担当者もまた「業務上」を相当因果関係説とは解釈していない(池辺道隆、高橋正義、坂中善治「身体障害等級・業務上外認定基準精義」一九四八年・二〇五頁以下)。

五 右に述べてきたとおり、損害賠償制度における債務不履行、又は不法行為と損害との間に相当因果関係を要すると同様の意味における、業務と死亡・負傷・疾病との間に相当因果関係を要するという考え方が誤りであることは明白である。

労災補償制度の目的に照らせば、対等な市民相互に発生した全損害の公平な分担を目的とするために必要な「相当因果関係」は、「業務上」の法的要件としては全く必要とせず、「業務上」とは相当因果関係よりももっと広く解し、業務と負傷・死亡又は疾病との間の合理的関連性があることであり、法的要件としてはこれで必要かつ十分だというべきである(松岡三郎「労災職業病」六九頁)。

また、仮に「業務上」とは、業務と死亡・負傷・疾病との間に相当因果関係の存することを言うと解するとしても、それは損害賠償制度の相当因果関係とは区別され、それよりも救済対象を拡大したものであり、右に述べた合理的関連性と同義語と解するのが相当である。

今日、学説上も労働省の前記相当因果関係説を批判する見解が有力に展開されるに至った。松岡三郎教授は、「災害補償についての労働者の生活保護の法思想は、実質的には業務の遂行性と起因性の二要件の解体を要求するが、その文字をなるべく生かしてコメントを付加するなら業務遂行性を広く業務の関連性とも言うべきであり、起因性はその業務の関連性に包括され推定されるべきである。」と主張している(松岡三郎「通勤途上災害の労災保険法適用問題」日本労働法学会誌四三号二〇頁)。

また、水野勝教授は、労働省見解の相当因果関係説を明確に批判し、業務上を因果関係的把握と断絶させ、「業務関連性」と捉える見解を展開されている(水野勝「業務上外の認定基準の構造とその問題」季刊労働法八二号一九頁以下、同「拡大化する労災認定の動向と限界」季刊労働法九八号一五頁以下)。

第二 業務が相対的に有力な原因であることを必要とする誤り

一 右のようないわゆる「相対的有力原因説」は、他の判決例でも散見されるが、最近の高裁判例の動向、とりわけ以下に述べる一審判決を逆転させた五高裁判例の動向をみれば、右「相対的有力原因説」は、既に破綻しており、裁判所の採用するところではないと認められるものである(岡村親宜「過労死労災認定と高裁判例の動向―最近の労働側逆転勝訴判例の意義」労働法律旬報一三四一号六頁以下)。

例えば、東京高裁平成五年九月三〇日判決は、「『公務上死亡』とは、公務と死亡との間に相当因果関係が存すること、換言すれば死亡が公務遂行に起因することを意味し、またこれをもって足りると言うべきであって、必ずしも死亡が公務遂行を唯一の原因ないし相対的に有力な原因とする必要はなく、当該公務員の素因や基礎疾病が原因となった場合であっても、公務の遂行が公務員にとって精神的・肉体的に過重負荷となり、基礎疾病を自然的経過を超えて急激に悪化させて死亡の時期を早めるなど基礎疾病と共働原因となって死亡の結果を発生させたと認められる場合には、右死亡は『公務上の死亡』であると解するのが相当である」と判示し、請求を棄却した一審判決を取り消した。

また、大阪高裁平成六年二月二四日判決(労民四四巻一号一三八頁、判タ八二五号一五四頁)も、次のように判示し、同様に請求を棄却した一審判決を取り消した。

「竹男の死亡は、その形成について公務執行と因果関係があるとまでは認められない脳動脈瘤が、公務執行に伴う前記のような負荷によって自然的経過を超えて増悪した結果破裂したことによるものであって、右脳動脈瘤の存在と右公務が共働原因となって発生したものというべきであるから、竹男の死亡については公務に起因するものであり、地方公務員災害補償法所定の公務上の死亡に当たるものと認めることができる。」同様に一審判決を取り消し原告の請求を認容した最近の高裁判決は次の通りである。

(1)東京高裁平成五年四月二八日判決(判例時報一四六八号一五七頁)

(2)福岡高裁宮崎支部平成五年一二月一五日判決(判例タイムズ八五三号一七八頁)

(3)東京高裁平成六年二月二三日判決

このように、最近の高裁判決の傾向は、本件一審判決と同様、業務(公務)が「共働原因」であれば足りるとする点で、原判決と大きく異なっている。従って、これら高裁判決例の傾向が、同種事件の判例を形成する以上、これに原判決が違背し、その結果、上告人の請求が棄却されたのであるから、判断の統一性の観点からも、最高裁においては、直ちに原判決を判例違反として破棄すべきである。

二 原判決の「相対的有力原因説」と最高裁判例違反

他方、原判決の「相対的有力原因説」というところの、業務上のものと認められる因子が「相対的に有力な因子である」というのは、子細に検討すると、要するに、その因子が他の要因よりも比較して(相対的に)有力な原因であると認められなければならないという考え方であることがわかる。この考え方は、これまで労働省側が各地の訴訟で主張していたものであるが、これに対しては、そもそも質的に異なる原因相互間の軽重などを判断することは不可能である。だからこそ、「最有力」といい「相対的有力原因」といい、ある原因を他と比較して業務起因性を認める考え方が、裁判所においては、否定されつつあるのである。ところが依然として労働省側はこのような考え方に固執している。しかし、これも最高裁の容れるところではなくなった。

倉敷市社会福祉事務所事件における広島高裁岡山支部平成二年一〇月一六日判決は、請求を棄却した一審判決を取り消したが、これに対し、行政側は、次のような理由を主張し「判決に影響を及ぼす法令違背」があるとして上告した。

「『公務以外の要因』と『公務』という要因とを比較して、公務のほうが相対的に重要な比重を占めていると評価できない限り、公務と疾病との間の相当因果関係はないといわねばならない」。

これに対し、最高裁判所は、平成六年五月一六日、上告を棄却した(平成三年行ツ第三一号)。この時点で、行政側の主張する「相対的有力原因説」及び「最有力原因説」は、最高裁判所において採るところではないことが判例となった。

ところが、原判決は、先に述べたように、依然として行政側が固執している「相対的有力原因説」ないし「最有力原因説」をとっていたのであるから、最高裁判所の判例に違背し、これが原判決の結論に影響を及ぼすことが明らかであるから、直ちに破棄されるべきである。

第三 原判決の経験則違背、理由齟齬、理由不備、法令解釈の誤り

一 原判決は、右の通り、「相対的有力原因説」を前提に、脳血管疾患の発症に関して、次のような判断基準を示している。

「(前略)業務上の負傷又は業務によるストレスが、本件のような出血性脳血管疾患発症の相対的有力因子であるというには、右のような個人差を考慮しても、一般的に相当程度のストレス、特に急激な血圧上昇を生じさせるに足るだけの蓋然性を有すると認められる要因(ストレッサー)の存在が肯定されるか、そうでなければ、当該個人にとって、ある具体的要因が、相当程度のストレスを生じさせて急激な血圧上昇を発生させた蓋然性が高いことが肯定されることを要すると解するのが相当である。」(五六〜五七丁)ところで、原判決は、「急激な血圧上昇」というところの「急激な」とは、「ある程度の期間に亘る慢性的、持続的なものではないという意味」であると自ら定義している(五三丁)。

一方、原判決は、「本件負傷によるストレス(それによる血圧上昇)が、勝二の罹患した右疾患の相対的に有力な発症因子であることを推認させるといえなくもない」(五六丁とか、)「本件負傷により、勝二に血圧上昇が生じた可能性は否定できない」とし、また勝二が本件発症当日寒冷下の屋外で寒風の中での作業が本件発症に影響を与えた可能性も認めている(五九、六〇丁)。原判決は、右それぞれの可能性を認めながらも、それらが「急激な血圧上昇を発生させる程のストレスをもたらすとは通常考えられない」(五七丁)とか、「その程度はさほどのものではないと考えられ」るとしている(六〇丁)。

二 しかし、本件負傷による血圧上昇があるとすれば、発症までに二日間の期間しかないのであるから、その間の血圧上昇は「ある程度の期間に亘る慢性的、持続的なものではないという意味で」、「急激な血圧上昇」ということになるはずである。そして、もともと勝二には「本件負傷以外に脳内出血又はくも膜下出血の発症因子となるような事情は積極的には見い出せない」(五五丁)というのであるから、本件負傷による「急激な血圧上昇」が、本件発症の原因になったことは、原判決の認定においても否定できないはずである。

ところが、原判決は、本件発症の原因の判断においては、「急激な血圧上昇」を一過的ないし突発的な血圧上昇という意味で用いている。そのため、本件負傷による血圧上昇や、寒冷下での作業による血圧上昇などが、「一過的ないし突発的な血圧上昇」ではないという意味で、「急激な血圧上昇でない」とされているのであるが、これは、前記の通り、「急激な血圧上昇」の意味を自ら定義しながら、それを無視した立論を展開していることになる。

三 原判決が「急激な血圧上昇」を「ある程度の期間に亘る慢性的、持続的なものではないという意味」での血圧上昇と定義したのは、そのような「ある程度の期間に亘る慢性的、持続的なものではないという意味」での血圧上昇による発症であれば、基礎疾患の自然増悪の結果であるから、業務起因性がないということを導くためである。従って、「ある程度の期間に亘る慢性的、持続的なものではないという意味」での血圧上昇をもたらす因子は、「基礎疾病を自然的経過を超えて急激に悪化させて死亡の時期を早める」(前掲東京高裁平成五年九月三〇日判決)ものであるから、これが「共働原因となって死亡の結果を発生させたと認められる」ことになるのである(同判決)。

このように、原判決は、自らの理論を一貫すれば、業務起因性を容易に肯定することができるのに、あえて論理を一貫させず、その結果、業務起因性を否定した。従って、その判断過程には、矛盾が明らかであり、理由不備、理由齟齬が明らかであり、到底経験則に従った判断とは言えない。そして、かかる理由不備、理由齟齬、及び経験則違背の判断によって、本来肯定されるべき勝二の業務起因性が否定されたのであるから、これが結論に影響を及ぼすことが明らかであるから、直ちに破棄されるべきである。

上告理由第二点〈省略〉

上告理由第三点〈省略〉

上告理由第四点

原判決は、本件発症の機序に関する事実認定について、経験則ないし採証法則の明らかな誤りがあり、是認できない理由不備、理由齟齬があるうえ、判決に影響を及ぼすことが明らかな関係判例への違背がある。

第一 原判決の構造

原判決、右第一、第二に述べたような本件事故態様および本件事故から本件発症までの経過について事実誤認をしたうえで、医学的証拠の検討をおこない、誤りを重ねたものである。

そして、原判決は、被災者の脳出血がいかなる態様(病名)のものであるのか、錯綜する医学的証拠の検討として、結局確たる認定にいたらぬままに、業務起因性を否定した。

第二 原判決の誤り

一 医学的証明の程度について

しかし、まず、仮に因果関係の有無という判断枠組を採用するとしても、その因果関係の立証は、一点の疑義も許されない自然科学的証明ではなく、経験則に照らして全証拠を総合検討し、特定の事実が特定の結果発生を招来した関係を是認し得る程度の高度の蓋然性を証明することであり、その立証の程度は、通常人が疑いを差し挾まない程度の真実の確信を持ち得るものであることを要し、かつその程度で足りるというのが判例の立場である(最高裁昭和五〇年一〇月二四日第二小法廷判決民集二九・九・一四一七)。

原判決は、その一部においては、右法理に理解を示すような判示もあるが(「常に医学的確証の裏付けを必要とするとまでは解する必要はなく」という五五丁の判示等)、医学的証拠の相互比較検討をし、病名を確定しようとする(しかし、結局確定できなかった。たとえば五一丁裏参照。)手法そのものにおいて、過度に医学的証明にこだわる誤りをおかし、しかも医学的確定ができなかったことの負担を不当に被災者側に負わせたものである。

たとえば、「勝二が、本件事故により、外傷性の硬膜下出血腫又はくも膜下出血に罹患し、同人に頭痛等の愁訴がもたらされた可能性は否定できないとしても、そして、また、それが同人の死因となった出血性脳血管疾患であることも完全には否定できないが、証拠上、これを積極的に肯定するのは困難である。」(四五丁)との判示があるが、全く意味不明ないし理由不備であり、医学的証明の訴訟における意義を見失ったものといわざるをえない。

そして、原判決は、いかなる因子が脳出血を発症させるような血圧上昇等をもたらしたのか、そこに業務関連因子が関連したのか否か、という基本的な判断について、混乱をきたしてしまったのである。

二 前提事実の適用について

くわえて、原判決は、医学的証拠を検討する際に、前記のような本件事故およびその後の経過に関する事実誤認をしたままで考察をおこなう誤りをおかしている。

そればかりか、原判決が消極的にせよ認定した事実をも無視し、また、医学的検討に陥るあまり混乱したのか、何が問題かを見失った判示もある。

たとえば、佐藤医師の意見を排斥するにあたり、同医師の意見は「特に本件事故の存在及びその後の勝二の頭痛、食欲不振の訴えを重視し、これら愁訴と本件発症後の症状経過との連続性、整合性を考慮して医学的考察を加えた結果、外傷性硬膜下血腫の特殊型との結論に達したものと推認される」と位置づけたうえで、その前提事実に問題がある等の指摘をしたうえで、「佐藤意見を全面的に排斥するのは相当でないとしても、その結論として述べる勝二の死因が右疾患であるとする部分はにわかに採用できないというべきである」とした(四二丁)。

しかし、同判決自身も、頭痛や食欲不振がまったくなかったとは認定しなかったのであり、右佐藤意見排斥の理由は不備である。また、判決で検討すべきは、発症に業務関連因子がどう関わったかであって、疾患名ではないのであるから佐藤意見について疾患名のみを排斥しても検討が終わったことにはならない。

三 本件発症の機序

前述したように、本件事故は重大事故であり、被災者は本件事故から本件発症までの間、本件事故による痛み、食欲不振、睡眠不足の状態にあった。

くわえて、出勤簿(乙第一〇号証の三)およびカレンダーの書込み(乙第二九号証)で明らかなように、被災者は、本件発症前一三日間(一二月一八日から三〇日)連続して、しかも寒い時期に(気象観測、乙第一三号証の二参照)、勤務していたのであり、もともと疲労が蓄積していた。

したがって、被災者は本件発症当時、抵抗力低下ないし血圧上昇しやすい健康状態にあった。

このような健康状態において、被災者は、寒中、高所で緊張する労働に従事し、本件発症にいたったのである。

よって、本件発症は業務上災害であり、これを誤認した原判決は破棄を免れない。

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